まごころの検証は、もっと大事なことだ

「騙してもいけないが、騙されてもいけない。外交は、まごころが通じ合っていれば、ある程度まで上手くいくが、まごころの検証は、もっと大事なことだ」(ミッチー語録)。
丸山穂高代議士が、戦争なしに北方領土が取り返せるのか、という趣旨の発言をして物議を醸しています。
私に言わせてもらえば、一言付け加えて欲しかった。「と、ロシア側(プーチン大統領)は考えていると思いますが」とね。
外交において相手の考えていることは、歴史を振り返ってみれば、おおよそ推量できます。第2次世界大戦で自国領土を拡大したのは旧ソ連だけ。
ふたつの事例をウキペディアから抜粋しましょう。まず、1969年の大規模武力衝突を起こした「ダマンスキー島(珍宝島)事件」。
アムール川(黒龍江)支流ウスリー川中洲の領有権をめぐる戦争は、私が高校生の時。全共闘運動華やかなりし頃でした。
中ソの全面戦争が核戦争にも発展するかもしれない、と心配されたもんです。中国はこの事件から急速にアメリカに接近。
アメリカも泥沼のベトナムから手を引きたい思いもあり、1972年のニクソン・毛沢東会談に繋がります。
その後、ダマンスキー島は、1991年、ソ連が崩壊する頃ですが、中ソ国境協定で極東の国境線が確定した時、中国に帰属となりました。
もう一つは、1939年ソ連がフィンランド侵攻を開始し、ソ連側2.4万人の死者・行方不明者を出した「冬戦争」。
一旦はフィンランドの勝利に終わるのですが、ソ連は国際連盟を追放されながらフィンランド湾(レニングラード湾)の4島を占領、翌40年ソ連軍はマンネルヘイム線を突破し、ヴィープリを含むフィンランド国土の10%と生産力の20%を手中に収めました。
ハンコ半島の30年租借とソ連軍の通行権を確保する一方、フィンランド側には東カレリアの一部を割譲。
パリ講和協定(1947年)で国境線が確定され、カレリア地峡はレニングラード州となり、多くのロシア人が移住しました。
という具合ですよ。ロシアは、基本、戦争によってしか主権を返す気はない。クリミア半島のように軍事力で再占領もやる。
ソ連が崩壊した時は、国が破綻した時ですから、チャンスでした。1992年、二島先行返還の提案を受け、コズイレフ外相と交渉していたのは、渡辺ミッチー副総理兼外務大臣。「魚心あれば水心あり」なんて言ってましたね。
当時、原油価格が1バーレル10ドル台。石油と鉱物資源で食ってたロシアは国家破綻直後であり、日本側にとっては大チャンス。
しかし、ミッチーが膵臓癌の拡大手術を受け、4ヶ月の空白。日本側ではその前後から4島一括の原理主義が巻き返し、9月に大病の後ロシアを訪問した時には振り出しに戻ってた、という感じでした。
現在、ロシアはクリミア占領でキツイ制裁を受けており、経済は疲弊。原油生産施設も老朽化し、生産コストが上昇。原油価格が50ドル割れになるとヤバイと言われています。
レーガン時代のように、サウジと図って原油価格を下げる芸当ができると、チャンスは再び巡ってくるかも知れません。
(写真はjbpress.ismedia.jp)